2008/09/16

大江戸博物学時代~『江戸の妖怪革命』

以前の投稿で「今読み進めている別の書籍の内容と関係する」と書いて、気を持たせてしまったのですが……ちょっと困ってます。
今回取り上げる書籍、
香川雅信著『江戸の妖怪革命』河出書房新社(2005)
の最終的な結論が、前投稿で取り上げた
スーザン・A・クランシー著『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』
とあまりに重なるんですよ。
当然、方向性に近いものを感じてつなげられるとは予想したのですが……。
科学的認知の浸透で近代・現代の人びとに避けがたく突きつけられてしまった問題。
スーザン・クランシーが心理学の立場から問題に切り込んで、さまなまな研究上の苦難を乗り越え、結果論的に到達したものの記録であるとすれば、香川雅信は民俗学者として切り込み、必要性ゆえ民族学の方法論を保留してさえ語ろうとした結論になっている。
その結論はミステリーの解決パートのような魅力を備えていて……安易に記述、引用するわけにいかないのです。困った。
ぼくの個人的な困惑はともかく、必ずしも妖怪や江戸文化に興味がない方でも、「博物学の時代って、なんだったんだろう」と思われる方はぜひご一読を。妖怪を通して、江戸時代にいかに博物学的認知が日本でも定着していたかがわかります。
そして、博物学の時代から本格的な科学の時代へ。その時、何が起こったのか。香川雅信氏はその転換を現在に到るまで、きっちりと一線突き通しています。

さて、お約束の話の続きはしなければなりません。
霊がいるのをわかるというひとがいます。それが前投稿のポイントでした。
霊が見えるというひともいます。霊視という表現でテレビではよく見かけるのですが、身近に実際にいるひとたちは「わかる」と表現していて、微妙に違うようで、「わかる」ひとたちは互いに話し合えるくらい、隔離されずに近しく出会ってる状況を目撃していました。
香川氏はアメリカの美術史家ジョナサン・クレーリーの見解として、

十七、十八世紀においては「見ること」は「知ること」と同義であり、視覚は他の感覚と違って世界を客観的に認識することができる特権的な感覚として位置づけられていた。
『江戸の妖怪革命』248ページ

この記載は18世紀までの指摘であり、現代がそうではないからこそ意味のある表明なのだけれど、わたしたちは現在も少なくない場面で「見る」と「知る」を重ねていないわけではない。それが古い云い回しであったとしても「百聞は一見にしかず」は今でも通用しないこともない。そうであっても、わたしが接した人びとはあえて「わかる」を「見える」とは重ねていないのです。
これはまさしく香川氏の現代に関する問題意識と通底するものであり、クレーリーの指摘も同じところに発するのだとは思います。
ここで、香川氏が犬神憑きについてフィールドワークを行った際の記述を紹介します。

「犬神とはどのような姿をしているのか」という質問をぶつけてみると、ほとんどのひとがとまどったような表情を見せ、「いや、犬神は霊だから、特に姿というものはない」と曖昧な返答をする。
(上掲書34ページ)

姿がないこと、見えないことが、むしろリアリティを裏づけていると思われる記録となっている。上記はあくまで、報告例のサンプルでしかないけれども、「犬神は霊だから」とされている。霊は見えないことがリアリティとなっている面がある。この点は上掲書の結論と結びつくのでここでは詳述しないけれど。
霊は見えない、それが現代におけるリアリティといえるようです。だからこそ、見えない霊の話でお互い通じあえる。
そして霊が見えないものとなったのは、博物学の時代を経た科学時代の認知様式と深く結びついているようなのです。
この件に関して香川氏がきっちりと決着をつけており、それが解決パートにあたるので、わたしがここで語るべきことはなくなってしまいました。

ここで、この宇宙の創造の神がその創造物と接触不可能であったことを思い出してください。見えないというのはその意味での接触不能性と較べればずっと弱い意味しか持ちませんが、なにか通じるものを感じないでしょうか?

関連投稿:
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