2008/08/22

霊がいるのをわかるひと~『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』

以前、仕事関係の知り合いが、自分は霊がいるのがわかるという話題でお互いに「わかるよねぇ~」って感じで会話をしていたのです。
どんな仕事してたんじゃいって感じではありますが、霊関係でも宗教関係でもないです。というか、むしろそのひとたちが会話で確認し合ってた時点で、必ずしも必然な仕事関係ではないと判断しておいてください。
でも、ふたりは「あのひともわかるんだよ」って話をしていて、身近にめずらしくなく普通にいる感じでした。

スーザン・A・クランシー著『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』ハヤカワ文庫(2006)

という本を読みました。途中で、なるほど、あのときの「霊がいるのがわかる」というひとたちは、「エイリアンに誘拐された」と信じるひとたちと、よく似た傾向を持っているんだろうな、と納得しました。

予想に反せずエイリアンに誘拐されたと信じている人たちは、ほかの人たちにくらべて空想傾向が強いことがわかっている(上掲書192ページ)

脳が視覚的な想像をして実際の対象物を見たときとおなじような視覚表象ができあがると、現実性識別(リアリティ・モニタリング)のエラー(現実の出来事と想像上の出来事の識別ができないこと)が起こりやすくなる(上掲書101ページ)

とのことです。「ほんとうに霊の存在が見えたり、感じられたりするの?」という"健全"な懐疑派のみなさんにとっては引用にあるように予想に反せずな指摘で目新しいところはないかと思います。
誤解のないよう念のために補足すれば、上述の"健全"さは"平均的"なといった程度の意味で、霊がいるとわかったり、エイリアンに誘拐されたと信じるひとたちが精神病理学的に異常であるとか、科学的啓蒙において無知蒙昧であるという話ではありません。
上掲書もそのような浅薄な結論のために書かれたものでなく、読むに値する書籍です。
健全な懐疑派とは、今日においては普通に科学的な態度をとるというくらいの意味です。エイリアンに誘拐されたと信じるひとたちが不健全というつもりはありません。

さてここで、わたしの表記を思い返してください。
「霊がいるのがわかる」
なのです。「霊が見える」と言っているわけではないんですね。
上掲書の引用では
実際の対象物を見たときとおなじような視覚表象
とあります。霊は必ずしも視覚像として捉えれてはいないわけで、霊がわかるのとエイリアンに誘拐されるのは同じではないということのようです。
この点に関しては、今読み進めている別の書籍の内容と関係するので、読了後あらためて取り上げます。ちなみに日本の妖怪に関するものです。

この項、続きます。

上掲書は以下のブログの紹介で知りました。とても興味深いブログで、いずれ別の話題も取り上げることもあるかと思います。

アブダクション(宇宙人誘拐)とバカすキツネの共通点 [ EP: 科学に佇む心と身体 ]:
http://ep.blog12.fc2.com/blog-entry-1157.html

2 件のコメント:

柏春 さんのコメント...

コメントというよりは、感想ですが…。

 たしかに、霊感があるとおっしゃる人はいますね。私の場合は、だいたい聞き流してしまいます。その発言を、疑う必要性も、信じる必要性もないと思っているので。その感覚がわからない者にとっては、最終的に信じるのは自分の感覚のみかなと。

 ご紹介されている本も面白そうなので、さっそく読んでみましたが、読んでいて混乱する感じがするのは私だけですかね。

 非常につらい体験のような気がしないでもないですが…。

 こころの専門家でも、脳の専門家でも、ましてや宗教家でも科学者でもないので、よくわかりませんが、エイリアンに誘拐されたと信じる方々は、複雑に巧妙に仕立てたストーリーによって、自我を守るために防衛機制を働かせているように思えました。

 続きも楽しみにしています。妖怪については、詳しくないですが、水木しげるは大好きです。 

MarsResident さんのコメント...

pine_treeさん、読んでしまったのですね。なんというフットワークの軽やかさ……。
混乱するのは、事実上すべてのひとが根拠のほとんどない勝手な思い込みに依拠して生きている、ということを実感するには、まだまだお若いってことなのかも知れない、と思いました。勘違いだったらあやまります。
エイリアン誘拐はごく極端な事例ではあってもひとが生きているなかでは例外ではない。でも、そこに危険が潜んでいるとも思うのです。この点は続きの投稿を準備してます。まもなく投稿しますので、よろしければご参照を。