2008/08/21

“溜め”の感情~未来への期待、ノスタルジーから

今となっては過去のデバイス、固定電話。
消滅したわけではないけれど、テクノロジーとしては“過去”に属すると思う。
そんな過去にまつわるノスタルジーから、フローともストックとも違った“溜め”の感情というのを思いついたのでした。

フローの情報は「今、流れている“現在”の情報」、ストックの情報は「蓄積された“過去”の情報」。
“溜め”の情報は「今、“未来”に思う情報」。表現を統一するとこうなるのだけど、情報的な意味あいは薄く、「感情」という表現こそが適切な、フローな感じのものだと思う。
固定電話だけの時代を経験した、ある年代以上のひとにはどういう話かもうおわかりかと思う。
ほかでも耳にしたり目にしたりしたことのある「定番」の話だとは思うけれど……

電話を前にして思う。
彼女は家にいるだろうか。いるはずなのだけれど、お風呂に入ったりしていないだろうか。

彼女がすぐに電話を取ってくれるだろうか。それとも……


そんなふうにしているときの想い、それが“溜め”の感情だろう。
「電話」というテクノロジーにおいて、それは少しだけ先の“未来”への想いになる。
これが「手紙」だったとしたら。“溜め”の感情は時間的に長くに渡り、「電話」ではほぼフローだったものが、一部、ストックになるほどに“溜め”られる。
この感情の多くは“未来”への期待から来るのではないだろうか。
もちろん不安もある。しかしそれも期待と裏腹なのではないか。
あるいは、相手にとってマイナスとなる情報を伝えなければならず、困惑することもあるだろう。しかし、その困惑は対面で伝える場合と大きく差異はないのではないか。

こんなことがあった。
電話をかけようと受話器を取ったとき、すでに相手が出ていて、こちらの名まえを呼んでいた。
今のケータイでは起こらない。

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