2008/09/09

語ってしまえばすべては言語~共感覚と比喩

共感覚という現象があります。なにかを知覚したとき、本来の感覚とは異なる感覚が同時に働く現象で、ある音階の音を聴くと色を感じたり、味から視覚像を知覚したりするそうです。
なんだか楽しそうで、そういう体験してみたいですよね。

幻肢の研究で有名なラマチャンドランが共感覚と比喩の関係について講演したそうです。

文字を色で、香りを形で感じる人たち:「共感覚」と比喩 | WIRED VISION:
http://wiredvision.jp/news/200809/2008090823.html

ラマチャンドランは共感覚の本質は比喩であると考えているそうで、そうであるとすれば人類の言語の獲得と密接な関係があることになり、ほかの動物たちには共感覚はないということになります。
でも、「あれ?」と思わないですか?
共感覚を持ったひとたちはその体験を言語で語ります。共感覚と言語的な比喩が結びついてしまうのはこうしたことが原因で、実は言語を持たない動物たちも共感覚の体験を持っているのではないでしょうか?
動物実験の方法がないわけでもないと思えますが、実現はなかなか難しそうです。

ただ、共感覚の体験の語りが避けがたく比喩と結びつくという見解にならなさそうなのは、共感覚の体験そのものが言語的な概念に似かよって分節化されているように見えるところです。
文字が特定の色に見える場合、大文字小文字や、フォントの違いに影響されず、同じ文字は同じ色に知覚されているわけで、単純に感覚刺激が別の感覚に接続しているのではなく、抽象化されたレベルで感覚どうしがつながりあっているといえそうです。

共感覚の場合は、実際、言語的な現象なのかも知れませんが、何かの現象を言語的に記述することで、その現象が本来は持たないはずの言語的な性質をそこに持ち込んでしまう、ということには注意が必要かも知れない、と思ったのでした。

でも、現実にはさまざまなものを“比喩”で捉えているようにも思います。
何かと何かを結びつけることで、単体では把握できなかった性質がうまく把握できるようになる。
あるひとのことを、ネコみたいなひと、と表現したり、気持ちを、燃えるような想いと云ったり。ちょっと、この投稿の趣旨からはズレるけど。
ところで、この時、結びつけられている何かと何かは“ゆるやかな接続”をしてる?
少なくとも共感覚での結びつきは“ゆるやか”じゃないと思うのだけど。

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