2008/08/19

もしかして取り残されてる?~リアルタイム・コミュニケーション

もしかして時流に取り残されている? と思ったのでした。

セカンドライフの「その先」をもう一度考えてみる:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan
http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2008/08/18/entry_27013029/

「Second Life」は去年のマスメディアの盛り上がりぶりはなんかズレてると思いながら、遠まきにしていて、まあそれでよかったと思うのです。でもね。

インターネット上の情報には、蓄積されたアーカイブとしてのストック情報と、メッセンジャーやメール、SNSのライフストリーム(たとえばミクシィ日記) などの形をとって流れていくフローの情報がある。ストック情報は知を高めるための情報であり、これらの情報アクセスには人間の感情の介在する余地はない。 感情の構造の中で捉えれば、死んだ情報である。

メッセンジャーも使わないし、SNSもやってない。ふと気づくと、ほとんど“ストック情報”しか活用してないわけで、リアルタイム性はないのね。
リアルタイムなのはレーダーで雨雲を確認するときと、amazonの配送状況を確認するときくらいかな。
最近やっとこのブログをはじめたわけだけど、リアルタイム性は求めてなくて、自分の考えたこと、感じたことのアーカイブをとっておこうという感じで。

感情の構造の中で捉えれば、死んだ情報である

あるいはそういう見方もできるとは思う。でもね、やっぱりリアルタイム・コミュニケーションを積極的に求めようとは感じない。もしかして取り残されてる?

メールの利便性はお互いに時間を拘束しないこと。そう感じているのでメッセンジャーはイヤなんです。
今、仕事が忙しかろうが、サボっていようがあんたの知ったことかって感じで。用事があったらメールしといて、と思うのです。こっちの都合のいいときに読んで返信するから、あなたも都合のいいときに読んでね、って。あなたの都合なんて知らないけど、それでいいでしょ、って。

もう少し付け加えると、「ゆるやかな接続」が生み出すものに期待しているんです。
リアルタイムな接続で生じる感情って、直接対面しているときの感情と大きく差異はないんじゃないか、と。全く同じとはいえないだろうけれど、本質的に。
だからこそ“死んだ情報”とか言い切りたくなっちゃうんじゃないかな。直接対面しているときの感情がリアルな、生な、ほんものの感情で、リアルタイムの接続で生み出される感情もそれを基準に評価されている。

通信技術や環境が発展して、端末を常時持ち歩くようになって、現実の生活があって、そこに重なるように「ゆるやかな接続」があって、その「接続」が空間や時間を「ゆるやか」に拡大してくれて、それが今までにない“体験”を生み出してくれるんじゃないか、そんなことに期待している自分がいるのです。
その“体験”の評価には新しい基準が必要なのでしょうか。それは正直、わかりません。
でも、これまでの基準が知と感情を対置させなければならないものであったのだとしたら、知と感情を並立、融合、統合できるような基準であったらいいですね。

ところで、やっぱり取り残されてる?

2 件のコメント:

柏春 さんのコメント...

取り残されていないです。

 火星の住人さんの意図するところと違うコメントであったら、大変申し訳ないのですが。

 リアルタイムを求める感覚というのは、

 わかさゆえ?:感情のコントロールができないお年頃だから、身近なツールでとりあえず発散させる?経験不足で色々なことをすぐに吸収したいから、待っていられないのかも?

 職業上さしせまって?:投資家?株価や為替をリアルタイムで把握しないと大幅な損失がおきるかも?報道関係者?リアルタイムで報道しないと視聴率がとれない?

 メッセンジャーやmixiを使ってしまう愚か者であっても、それはそれで、きっと何かにつながりたい(すがりたい?)気持ちもあると思うので、大目にみてくださると、幸いです。

MarsResident さんのコメント...

pine_treeさん、なかなか果敢な表現をしますねぇ。
若さとの関連はあるのかも知れませんね。それが単なる年齢的なものなのか、時代的なものなのか、今ひとつわかりませんが。
職業上のリアルタイム性の要求は機能としてのものであって、感情の流れを生むものではないでしょうね。
いつも的確なコメントありがとうございます。