で、比較的最近のニュースで。
言語の「起源と進化」を探る研究:「人間は言語の宿主にすぎない」 | WIRED VISION:
なんか、ドーキンスっぽい煽り文句が気になるのだけれど。
でも、『言語』を「記号」と「記号の操作ルール」としてしまって、その記号とルールが段階的に変化していくようにできるのだとしたら(上述の記事はコンピュータ上でそれを“実行”しているってことだと思うのだけど)、その『言語』はどのようなシステムのうえで“実行”されているかに関係なく、勝手に変化していくのは当然の話なのではないのかな、と。
記号とルールの変化と、システムは直接関係しないのではないか。「宿主にすぎない」というか、そもそも別もののような気がするのです。
数学が根本的には、人間の脳のしくみや構造とは関係ないように。
「記号」的な『言語』がそれ自体で閉じた自律性をもっていたとしてもそれほど不都合ではなくて、もし“気がかり”だとしたら、人間が『言語』の自律性にどれだけ支配されて、振り回されているかってことでしょうか。
古代の日本語が8母音だったのが5母音に減ったり、「ら抜き言葉」に変化していったりするのが『言語』の自律性による効率化なのだとしたら、『言語』と人間の関係って結構、ウマくいっているんじゃない? って思うんだけど、どうでしょうか。

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